Googleが使い物にならない時代に我々はどう生きるか?
Googleが使い物にならない時代に我々はどう生きるか?
このニュースレターにしてもよく続いてるなーと思う。毎回書き始める時は「今回は流石に落とすかもしれない……」と不安になりつつも、ちょっと書き始めると作業興奮で次々と言葉が浮かんできて、ひとまず一通りの記事を書き上げることができて発行できるのである。
今週はちょっとメンタルの調子が悪くてね。気分的にモヤモヤした状態でこのニュースレターも書いているのだけど、ニュースレターを書くというのは気晴らしとしても使えているのである。
ブログにせよニュースレターにせよそうなのだけど、自分の中の言葉をしっかりと言語化して表現をできたのならば、「自分はこんなことを考えているのか」と認識することができて気分がよくなって来ることがよくある。
僕のブログでは何度も紹介してるアプリだけど、認知行動療法をセルフケアで行うためのAwarefyというアプリが非常に良い。
気づきで変わる、あなたの毎日。 - AIメンタルヘルスアプリ「Awarefy」
認知行動療法に従って作られているアプリであり、何か困りごととか悩みがある時に、こちらに記録を書いて感情がどれぐらいであると記録をしていくと、後から振り返った時に自分の思考はこんな癖があるのだなと気がつく。
また、このアプリではマインドフルネス瞑想の音声教材が入っており、こちらも毎日きちんと続けていると、小さなことでクヨクヨと悩みにくくなる。
マインドフルネス瞑想と認知行動療法を練習しておくことは、メンタルのセルフケアに非常に有効な手段になる。きちんと使えるようにしておくと、メタ認知が強化されて自分の感じていることが分かるようになり、生活のQOLが確実に上がる。
Awarefyは課金をしないとちゃんとは使えないアプリであるけど、ひとまず何か悩み事がある時は書き出してその感情に気がつく必要があるということを知ってれば良いですよ。
今週のひとことエッセイ
最近僕は、朝の通勤時間でAudibleで岸見一郎先生のこちらの本を読んでいる。
Amazon.co.jp: 人生は苦である、でも死んではいけない (講談社現代新書) 電子書籍: 岸見一郎: Kindleストア
なんというか、僕の人生というのは無駄に苦が多い人生であるので、このタイトルを見たときに「これは……」と思ってジャケ買いしちゃった。
岸見一郎先生は言わずと知れた「嫌われる勇気」の共著者であるけど、岸見先生のその他の本を読んでみると、あの本はアドラー心理学というよりは岸見先生の人生哲学というのが色濃く出ている本なのだなーというのがよく分かる。
僕は岸見先生については、そのご経歴などはよく知らないけど、「嫌われる勇気」で随分と人生を生きやすくしてもらったので昔からファンであった。岸見先生はクーリエ・ジャポンで「25歳からの哲学入門」という連載も持ってるので、そちらについても更新されたらなるほどと思いながら読んでいる。
こちらの本の中で岸見先生の人生についても語られていらっしゃるのだけど、早くに母親を亡くしていたりとか、父親も介護をして看取ったり、ご自身も大病をして病や死について深く悩んでいたりなど波瀾万丈な人生を歩んでいる。
この本の中では三木清の「人生論ノート」を引用して死や孤独について考えたりとか、人間の価値というのはどんな仕事をしたとか何をやれるかという行動ではなく、その存在自体に価値があると喝破したりなど、実存について悩んでる人の参考になることがたくさん語られている。
哲学や心理学というのは、それをただ知識として学んだだけでは意味を持たないところがある。例えば、ユングやフロイトの理論を知ったところでそれだけでは単なる古い人たちが何を考えていたのかという知識なのだ。哲学や心理学というのは生活の中で実践として使わなければ意味がない。
岸見先生はギリシャ哲学を研究してるのだけど、そんな哲学を実生活の中で実践として使うにはどうすれば良いのか? というのはこの本の中での岸見先生の取り組みを読んでみると分かるかもしれない。
今週のネットニュース振り返り
Googleの凋落。Google検索が使い物にならなくなってる。
「最近、Google検索がイマイチな気がする…」→本当にイマイチだった | ギズモード・ジャパン
Google Newsは“パクリ記事”だらけ? 生成AIも悪用 検索でも上位に、米メディアが実態指摘 - ITmedia NEWS
Googleの検索結果が劣化してるなーというのは、僕自身の個人的な感覚としてもあったのだけど、ギズモードがアンケートを取ってみると多くの人が実際にそう感じているとのことであった。
どこかで読んでリンクは無くしてしまったのだけど、SEOの専門家の辻正浩の記事で、Googleの検索結果自体はどんな専門的なことを検索したとしてもちゃんとした結果が返って来るということを書いてた。
しかし、僕はひとまずアプリエンジニアでアプリ開発は専門なのだけど、技術的な問題でも最近では検索するとまともな検索結果が出てこなくなっていると感じる。stack over flowを機械翻訳したようなサイトというのが引っかかるようであり、こういうサイトというのはまーったく役立たずのノイズなのである。
また、去年の10月ごろにGoogleのアップデートで権威性でのランキングを評価するということをやってるのであるけど、その結果、その商品に対する個人の口コミというのがほとんど検索できなくなった。個人のブログが全く検索結果に出なくなり、家電製品などを検索した場合は大量のショッピングサイトと通販サイトばかりが何ページも続き、利用者の商品の口コミというのはページをいくら進んでも見つからない。
最近の僕の検索行動は、まずはChatGPTに尋ねてみて、そのAIの解答からピンポイントで問題を特定できそうなキーワードを拾い出してそちらから始めてGoogleで検索してソースを探すというやり方になっている。
これは噂レベルの話であるけど、最近のアフィリエイターというのはChatGPTなどの生成型AIを使って大量に記事を作りまくることで稼ぐということをやってるらしく、Googleはそれらのノイズを取り除くことができなくなっている。Googleの凋落というのはやはりAIでもたらされるものなのかなぁ。
僕は半実名みたいなものだけど、最近の匿名文化圏はどうかと思うよ。
図らずとも「嫌われる勇気」の共著者の古賀史健さんのnoteでこんな記事が上がってたのだけど、「まぁそうだよな」と思った。
僕自身の「ゆきにー」というハンドルネームについては元々はてなで使ってたIDのyuki_2021をひらがな読みしただけのものであり、そのidについても本名+古い住所の住所番号というだけで意味のあるものでない。
しかし、僕はこのハンドルネームで17年ばかし一箇所のブログで記事を書き続けてきたのであり、匿名というのにはあまりにも自分のアイデンティティと強く結びつきすぎており、後先考えない暴言というのは非常にやりにくい。
僕は元々2chのような匿名掲示板でなんやかんやとやることからネットでのキャリアをスタートさせており、匿名文化圏とはある程度親和性がある。だが、最近の匿名ユーザの罵詈雑言というのは目に余るものがあり、こういうのをみてると「よくないな」という気分になる。
表現の自由という概念があるが、表現の自由というのは「自分が気分よく罵詈雑言を言って気に食わない奴を傷つける自由」ではない。社会の中ではどんな権利でもそうではあるが、他人と自分の共存するルールを無視した上で自分の権利ばかりを主張してばかりいるとその共同体はうまくいかない。
匿名で発言に責任を持たないものの発言というのは、その程度の信ぴょう性しかないというのはもっと世間に周知されて良いと思う。匿名で特に責任を持たないものが好き勝手に言ってることと言うのは、昔で言うのなら「便所の落書き」であり、そこに必要以上に価値を持たせる必要というのはないもんだと思う。
僕は今現在の日本のネットでちゃんとした議論をするためのプラットフォームというのは準備されてないと思っており、台湾などではこのような政治的な議論をネットでするための「vTaiwan」というプラットフォームが用意されている。
台湾政府の合意形成プラットフォームvTaiwanについて|鈴木敦也@Things | PRISM
AI時代でますますネットでの発言の信ぴょう性というのが薄くなってくる時代なのだからさ、ちゃんとした意見を拾えるような仕組みというのは重要な気がするね。
今週の一曲
今週の一曲はCHO CO PA CO CHO CO QUIN QUINの「tradition」
訳のわからんバンド名であるがこれは「チョコパコチョコキンキン」と読む。
民族音楽っぽいけどテクノのテイストも入っており、ドライブ感が強くてよくわからない感情になる。でも確かに音楽として気持ちいい。
それでは良い週末を。
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