介護をどうしようかなーという感じ。/ポピュリズムの時代で生き延びる。
介護をどうしようかなーという感じ。/ポピュリズムの時代で生き延びる。
最近の身辺雑記
このところのプライベートの問題としては、母親の今後をどうするかという感じ。現在、リハビリ用の施設に入院させているけど、ぐちぐちと文句を言っておりすぐに帰って来たがっている。
しかし、トイレなどの問題もあり、自宅で同居して介護をするにしても、ある程度自立度が高くないと、自分は仕事すらおぼつかなくなる。うちの親族全体が自分に対して「面倒をみろ」と言ってるのかもしれないが、やらされたらたまったものではない。
なんというか、介護というのは家族の中でも一番弱い立場の人間に皺寄せがくるとはいうけど、僕も境界線を保って自分の意見を持っておかないと、なんでもかんでもやらされる立場になりそうだなーと思ってるところである。
一体まー、こうやって脳出血で半身麻痺になったのも、母親自身の不摂生が祟ったものであり、母親は大して貯金もないしで、僕が親子だからと責任を取らされるのも理不尽であり、「どうしたもんか?」と頭を悩ませているのだ。
いきなりの冒頭からの愚痴ラッシュだ。実際ね、ほんとこの状況をどうするべきなのかは色々と考えている感じであり、放置をしても解決はしないし、かといって無理に自分が何もかもやろうとしても手の打ちようがないという感じ。
こういうのこそ「ニーバーの祈り」的な、課題の仕分けのやり方が必要なのかなと考える。自分自身で変えられるものと、変えられないものをしっかりと見分けをつけて、自分が変えられることだけにリソースを投入するのだ。
神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。
実際まぁそうであろうと思う。介護がなぜ疲れるのか? というと、自分が理不尽に我慢させられてる感覚であるとか、他の人と自分を比べて不幸であるような感覚が耐え難いからだろう。
人間というは、自分自身で何でもかんでもコントロールできることに対する欲求というのが強い。他人から行動を強制されると途端にストレスを感じて、そのことにより寿命まで縮んでしまうというのも聞いたことがある。
要旨
介護施設入居者グループを対象に、個人の責任感と選択権の強化が及ぼす影響を評価する実地実験を実施した。施設環境下で生活する高齢者の多くが衰弱状態にあるのは、少なくとも部分的には事実上意思決定の自由がない環境下での生活に起因し、したがって潜在的に回復可能であると予想された。実験群の入居者には自己責任を強調する伝達が行われたのに対し、対照群には職員の責任を強調する伝達が行われた。さらに伝達を補強するため、実験群には選択の自由と植物の世話責任が与えられた。対照群では職員が決定し植物の世話を行っていた。アンケート評価と行動測定の結果、実験群は対照群と比較して、覚醒度、積極的参加、および全般的な幸福感において有意な改善を示した。
人間はコントロール権を求める生き物であるし、これは他者を押し除けても自分の自由を追求しようとする。そこんところで、対立したりとか妥協したりとか、そういうコミュニケーションの押し引きなのかななどと考えたりする。
結局のところ、友人関係だろうが親子関係だろうが、人間が二人以上いれば政治が発生して、そこのところでの人間関係の力場というのが、人生の幸不幸には影響してくるんだろうなーなどと考えたりする。全くもって、そういうストレスばかりを押し付けられる人生というのは理不尽なもんであるなと思うが、現実問題として対応はせんとならんのだろう。
今週の一言コラム
「SNSには根本的な機能不全がある」オードリー・タン氏が語る参政党躍進の裏側とデジタル民主主義の可能性(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
今、世の中に流行ってるものはポピュリズムである。少しTVでニュースなんぞを見てもわかるだろう。Twitter(X)ではさらにひどい勢いでこのポピュリズムが蔓延してるとの噂を僕は聞く。
僕自身は、陰謀論やらポピュリズムで精神を疲弊させないために、短文SNSを見るのをやめた。現時点での情報収集を行う場所としては、RSSリーダーでニュースサイトの情報を読んだり、ポッドキャストで色々な社会の情報を確認する程度である。SNSについてはブログの情報を告知する程度にしか使っていない。
上記の記事の中でのオードリー・タン氏の分析によると、AIでSNSを再現してみてその中で各種プレイヤーの動きを確認しても、SNSのアルゴリズムでは過激な情報を言いっぱなしのユーザーの方が人の支持を集めやすいという。これはリアルのSNSとも同様の動きであり、SNSのアルゴリズムの方がそのような偏りを生む仕組みになってるのである。
例えばトランプであるとか、日本であれば参政党であるとか、他人に攻撃的なプレイヤーの方が支持を集めやすいのだ。システム自体がそうなっているのであり、これはSNSを社会のインフラにまでしてしまった現代社会の大きなバグである。
SNS時代に広まってしまったポピュリズムであるけど、僕なりにポピュリズム時代に生き残る方法なんて整理しておこうかなーと思う。こちらについてはニュースレターで書いてるけど、自分の思考の整理である。
まず、ポピュリズムというのは歴史的にみても構造的に長続きしないものである。今、世界的にトランプのためにポピュリズムが流行しているが、こういうのは歴史を見ると過去にも何度かあった。
ナチス・ドイツ、スターリン、チャベス……。社会に不安が広がった時に、 経済的なばらまきを行うとか社会的な敵を作るなどして民衆を熱狂させるが、最終的には破滅する。構造的に、現実でのバランスを欠いており、だいたいこのパターン。
エリート・権威・専門家への不信を煽る
大衆に「お前は被害者だ、俺が守る」と言いながら感情に火をつける
政権取る
徐々に民主的手続き・言論・自由を破壊
経済も制度もぐちゃぐちゃになる
最後は別の勢力が出てきて「やっぱり民主主義のほうがマシだったな」となる
これは歴史的にみても再現性があるし、おそらく今回もこのパターンになるだろうなと思う。しかし、これで再び社会が前と同じような理性を取り戻すまでに、下手したら10年以上は掛かるのである。その間はまぁ、耐えないとならない。
僕自身の考え方としては、時代がポピュリズムなのはまぁ仕方ないのだが、その中で生き残り、自分の利益に変えていく生き方というのはどうやればいいのか? というのが興味の範囲。自分で社会に働きかけて世の中を正すとかそういう考え方もする人がいるけど、それはエネルギーが必要。僕は個人主義者であるし、そこまでやってやるほど社会に義理もないかなと思う。
僕がこういうのを考えているのは、いわば時代への逆張りであり、みんながポピュリストに熱狂して突っ走るというのは、経済で言えばバブル状態に近い。経済というのは本来の価値がないところに人気が集まった場合、株価などは暴騰するがそのうち暴落して元の価値に落ち着くのがパターンである。
僕はポピュリズムに対して、この本来の価値を見越した投資戦略と同じ行動パターンで動こうとしているのだ。現実生活において、世の中がおかしな方向に熱狂した時、どのように立ち回るのが生存確率を高めながら元の状態に世界が戻った時に利益を出す方法なのか?
基本的なことであるが、どれが現実的で価値があるのか見極める力というのが非常に重要。例えば、今は太陽光発電や風力発電などの再生エネルギーに対して、トランプは温暖化はデマだなどと言って補助金などを打ち切ろうとしている。それで再エネなどの株式が落ち込んでいるが、現実の日本の気温などを見た時に、今年は40度超えをする箇所がたくさんあった。
ポピュリズムではルイセンコ主義のような、現実を否定して独裁者の考える理論を政策に適応しようとすることがあるが、そこんところは逆張りで投資するチャンスである。どれだけ権力があろうが理想では現実に勝てない。こういう時期に地味に投資で仕込んでおくと、世界が戻ってきた時に大儲けのチャンスである。
あとは、ポピュリズムなんかを信じてる人たちは、信じてない人を攻撃しようとしてくることがある。これに対しては敵対はしないように曖昧な立ち回り方を練習しよう。これから先、ポピュリズムやら外国人排斥なんかがもっと社会で強力になってきた時に、表立ってこれに抵抗しようとしてはいけない。表面上は同意してるふりをしつつ、裏では舌を出してそれに逆らう行動をするぐらいの気骨は必要だ。
どうも僕はこういうポピュリズムが世界を支配してる時の立ち回り方で勉強になるのは「シンドラーのリスト」のシンドラーだと思う。彼は表面上はナチス・ドイツに従うふりをしながら工場経営などをしつつ、裏でユダヤ人を救いまくった。まぁ、最終的には全財産を投げ打ったのだが、そういう本音と建前を使い分ける工夫が必要。
それとこういう時代では待つ力というのが非常に重要である。この混乱した時代が何年続くかわからんが、その間はずっと待たないといけない。こういう時代に目立ってしまうと周りから目をつけられて袋叩きにされる。下手に人目につくようなことをしてはいけない。地味な立ち回りを気をつけよう。
それこそ、河原で良い石を拾ってサンドペーパーで綺麗に磨き上げる趣味をマスターする時間に充てる程度で十分なのである。これから数年はずっと混乱してメディアもネットもトンチキな情報ばかりになる時代であるので、その中でマイペースに自分のやるべきことをやる趣味というのを身につけた方がいいだろう。僕はこれからの時代はそういう風に立ち回るつもりである。
今週の一曲
今週の一曲はアベル・セラオコーの「Malibongwe」
このセラオコー氏は南アフリカ出身のチェリストなのだけど、Apple Music Classicalで聴いてみてよかった。
アフリカ音楽とクラッシックを合わせるのは新感覚だよね。オーケストラで観客を巻き込んでやるパフォーマンスというのは面白い。こういう新しめの音楽家も色々と聴き込んでみたいよね。
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