沖縄でも地震被害を受ける可能性というのは否めない。
沖縄でも地震被害を受ける可能性というのは否めない。
沖縄の気温はすでに25度を超えており、そろそろ30度にも届こうかという状況であり蒸し暑くて仕方ない。そろそろクーラーを使わないといけない季節になりつつあるが、電気料金がどうなっていくのか今から心配である。
僕もまぁ、中年と呼ばれる年齢まで人生を生きてきたものであるけど、地球温暖化というのは確かにあるなと思わされる。僕が子供の頃というのは、もうちょっと夏場でも涼しかったように思うし、特にここ数年の猛暑というのは殺意すら感じるぐらいの危険度があるように思う。
一体、この近年の危険な猛暑が果たして地球温暖化の影響なのかはなんのデータも持ってないことであるし、確かなエビデンスのあることを語れはしないけど、何かしらの対策は打っていかないとならないなと思う。もしこれで南極の氷河が溶けてしまって海面上昇などとなってしまうと、いろんな土地が浸水して人類が住める場所が減ってしまい、それから地域紛争などに結びつくというのもありうるだろう。
こういうことを考えると僕は「ファクトフルネス」という書籍を読んだことなどを思い出すのだけど、過去から現代までの歴史を見ると人類というのは着実に進歩し続けてるし、貧困や紛争などの問題があったとしても、粘り強く問題解決に取り組んでいけば確実に世の中というのをよくしていけると信じている。
今の世の中は、インターネットやSNSの急速な発展により社会の分断のような現象も発生しているけども、それでもちゃんと相手に対してリスペクトを持って接する態度というのを維持することを忘れてはダメだと思う。民主主義というのが何よりも優れた政治形態ではないと思うが、社会の中にあるバランスをとらなければならない問題をしぶとく解決できる思想だと思う。
こんな場末で天下泰平を論ずるのも何だろうとは思うけど、まぁ、短絡的な答えに飛びつかない慎重さというのは、人生を生きる上でも、社会の中にある問題を見つめていく上でも重要なことだなとは思うね。物事というのはちょっとずつしか変わっていかないし、劇的に変化したように見えてもそれが表面的で、物事の本質というのがその裏側に隠されてることもよくある。
僕がこのニュースレターでやろうとしてるのもそういうことでね。短絡的に世の中に流れてるニュースに反応するだけではなく、その出来事の背後に隠れてる本質というのがどのようなことなのか、自分なりに考えて静かな場所で意見を述べてみようかと考えてみてこのニュースレターは書いている。
村上春樹さんの「ねじまき鳥クロニクル」の中で登場人物が言っていたことだけど「本当のことは小さな声で語られる」。SNSのような場所でことさらに大きな声で主義主張を述べるのは僕の好みではない。僕はこんな感じで、静かな場所で自分の思うところをちゃんと述べるような場所を作り、その中で自分が感じた真実を語っていこうと思うのである。
今週のひとことエッセイ
最近の僕はひたすら小説執筆の人である。家に帰ればブログを書いたのち30分だけ小説のプロットを練り、毎日ちょっとずつでも確実に進捗を進めて小説を完成させるのを目指してるのである。
しかし、小説を書いたとしても発表する場所については微妙に悩むことであるよなと思う。僕は別に自分の書いた作品が賞を取れるとは思ってないし、プロ作家になって印税生活でウッハウハということもあんま考えてないので(少しは考えている)、自分の納得できる作品を作って、それをネットの小説投稿サイトで発表するぐらいで十分かとは思ってる。
しかしまー、いくら僕でもそこまで志の低い感じで創作活動をすることが果たして正しいのか? とは微妙に悩んだりはするのである。僕が小説に組み込んでる主題というのは、単なるエンタメだけではなく、普遍的な人間の在り方のような思想まで組み込んでいこうとやっている。そうやって作った作品なのに多くの人に真を問わずに自己満足で終わらせることが良いことなのか、悪いことなのかトントわからぬ。
僕はどうも、世の中にいる、大したことでもないのにから騒ぎをすることで周りの人を巻き込むことだけに長けた人というのが嫌いである。「セルフブランディング」であるとかwebマーケティングのようなスキルばかりで、言ってることがすっからかんで内容がない人というのは、内心ですっごく馬鹿にしてる。
なので、僕はその反動で全く反響のないことにエネルギーを費やすことが良いというような考え方になってしまっている。普段から書いてることは「あいつみたいに内容のないことを書いてないか?」とか「口先ばっかりで具体的でない話題を言ってないか?」みたいな反面教師ばかりを意識しており、それはそれで大きな問題点を抱えてると思うのである。
論語に次のような一節がある。
子貢曰、有美玉於斯。韞匵而藏諸。求善賈而沽諸。子曰、沽之哉、沽之哉。我待賈者也。
子貢が「ここに美しい玉がありますが、櫃に入れてしまっておきましょうか、あるいは善い買い手をさがして売りましょうか。」と言ったところ、孔子様がおっしゃるよう、「売ろうとも、売ろうとも、わしは買い手を待っているのじゃ。」(穂積重遠『新訳論語』)
孔子のような偉人ですら、自分の徳を評価してちゃんとした待遇で雇ってくれる君子を探して諸国を旅していたのである。どれだけの真意を抱えていようとも、自分の中で自閉して、ひたすら運任せに周りの評価を待つことが正しいことなのかというのは考えさせられるものである。
今週のネットニュース振り返り
口コミを性善説で運用することの是非について。
Googleマップは「21世紀に現れた無法地帯」 医師らが訴える「悪質コメント放置」の実態 - 弁護士ドットコム
病院などのGoogleマップの口コミを見たことがあるだろうか? ちょっと自分が通ってる病院の口コミなどを見て貰えばわかると思うが、大抵の場合、低評価とともに罵詈雑言の口コミが書き込まれてることが多い。
Googleマップの口コミについては、僕は飲食店やカフェを探すときには有効に利用することができている。それらの場合には、品質が良い店にはちゃんと相当数の口コミが集まって評価されてるし、妥当だなと思うことも多い。
しかし、病院の口コミになるとその信憑性は相当に疑わしいものになる。特にメンタルクリニックなどの場合が顕著なのであるが、ほとんど私怨とも思えるようなひどい口コミというのが書かれていることが多いのである。
これは医療機関という施設だからその性質上、何かちょっとしたミスでもあれば即座に受け手は最低評価として受け取り、そしてクレームを直接病院に送る代わりにGoogleマップなどにクレームを書いてしまうのが多いのだと思う。
また、これらの口コミを利用した業者というのも存在してるらしく、「低い口コミを消したければウチに金を払え」という宣伝をしてくるらしいが、Googleマップの口コミを消せるのはGoogleの運営か書き込みをした本人だけである。要するにマッチポンプで金を稼ごうという業者も低い評価の口コミを書いてるのである。
Googleという会社は、どうもアルゴリズムで全自動化をすることに価値観を見出してるらしくて、手作業で泥臭くSPAMを消したりするのを嫌厭してる性質を感じることがある。これらの口コミに関してもおそらく通報ボタンなどを置いて、機械的にスコアを測定するなどのやり方で対応しようとしてるはずであり、そのせいで「無法地帯」などとメディアに書かれることになってるのだろう。
台湾でマグニチュード7の地震が発生。
台湾東部で地震 9人死亡 963人けが 建物倒壊などの被害 花蓮県で震度6強 台北市で震度5弱(3日) | NHK | 地震
こりゃーまー、半ば私事のようなものかもしれないけど、ニュースバリューはそれなりにあるものであるし、台湾で起きた震度6強の地震について語らせてもらおう。
この台湾で震度6強の地震があったとき、沖縄にも3mの津波が来るということで騒然としていた。朝から緊急アラームや緊急放送のような状態が続き、那覇市内は避難する人たちで大混雑してた。
実際はまぁ、予定時刻になっても津波は来なかったので正午ごろには緊急警報は解除されたけど、沖縄でも地震が起きるのだなと緊張させられる出来事であった。
一応、沖縄でも石垣とか久米島の方で津波があったとの史書も残されてるし、また、沖縄の方言にも「ネー」とか「ナイ」という名詞で地震を表す言葉があったりなど、過去にも地震があったらしき形跡はあるのである。
僕は過去に沖縄にいつか大地震が起きるというローカルで出版されてる書籍を読んだことがあったけど、沖縄の周りにも「南海トラフ」というプレートがきており、そちらで密かにエネルギーが蓄積されており、いつか大地震が起きるのではないかという研究者もいる。
沖縄大地震説は都市伝説にも近いものがあるのだけど、いずれにせよ油断しすぎると何があるかは分からない。「備えあれば憂いなし」ということわざもあるであるし、防災バッグなどの準備は怠らない方がいいだろうな。
今週の一曲
今週の一曲は THE BAWDIESの「SUGAR PUFF」
このTHE BAWDIESについては日本のインディーズなのかな? 僕は無学だからほとんど知らないのだけど、この「SUGAR PUFF」については聴いてみてすごくいいなと感じた。
なんか、「アメリカの日曜日午後のドライブイン」を感じるというか、日常的な幸せな感じの楽曲で僕は好きだな。
それでは良い週末を。
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