個人ブログはどこから来て、どこへ行くのか。
個人ブログはどこから来て、どこへ行くのか。
2月ももうそろそろ半ばであるね。歳を取れば時間を過ぎるのが早くなるとはいうものの、この調子で行くとあっという間に1年が過ぎてまた正月がやってきてしまう。
とはいうものの、何か有意義な時間の使い方をするために情報密度を詰め込むような生活をすると、なんかイライラして何事もつまらないように感じてしまう。
僕もやりたいことがいっぱいあるからタイムマネジメントの方法について色々と試してみるものの、そこでやるべきことを詰め込むことと人生が満たされてる感じというのは必ずしも比例してるものではないなと思う。
ここんところのバランスについては、マインドフルネス瞑想をしてみてバランス感覚というのに気がついてきたのだけど、頭の中がグルグル思考でいっぱいになってしまうまでやるのは、有意義であれ無意味であれそんなに良くないということだ。
「物事をやり過ぎない」というのは何事においても重要なことかもな、と最近は思う。とにかく僕は「ベキネバ」で何事もやり過ぎることが多いので、その辺りは気をつけねばなと思う。
思い詰めてしまうまで考え過ぎたりやり過ぎたりしない。そこんところのバランス感覚って人生を幸せに生きるために重要である。あまり詰め込み過ぎると仕事でも効率が落ちるし、意図的に休憩時間を入れることが長く仕事を続けるコツだったりする。
今週のひとことエッセイ
最近僕はNHK大河の「光る君へ」を追っている。何となく紫式部に興味があるのと、今度書きたい小説では安倍晴明の子孫という設定の子がいるので、平安時代のあの頃の雰囲気に関する情報を色々と集めたかったのである。
源氏物語については瀬戸内寂聴訳のシリーズについてちょっと読んだことがあるけど、そこまで詳しいわけではない。読んだのが高校生ぐらいの時だったので、今ではすっかりと頭の中から抜け落ちている。また、時間を開けて源氏物語を読みたいものだね。
「光る君へ」であるけど、まひろこと紫式部と三郎こと藤原道長のロマンスがメインな感じであり、ドキドキワクワクの展開であるね。実際に紫式部がこんな感じで恋愛ドラマを繰り広げていたのかは分からないけど、ドラマの中でキャラクターたちがそれぞれの思惑で展開が転がっていくのを面白くみてる。
安倍晴明も作中の重要人物として登場してる。紫式部と安倍晴明は微妙に時期外れるけど、それぞれ藤原道長に関連して宮廷でいろいろと活躍してるので、ほぼ同世代の偉人たちである。
僕は安倍晴明に関する書籍で「陰陽道の発見」なる書籍を読んでるので、あの時代の人々にとって占いや呪術というのがとても重要という前知識はあるので、「光る君へ」の中でも病気のたびに陰陽師が活躍してるのをみて「なるほどー」となってるのである。
ちょっと僕も一度、東方Projectの二次創作の小説だけど、平安時代の物語を書いたことがあったので、実際の平安時代の物語や書籍などを読んでみると、自分の書いた小説の設定の浅はかさに痛し痒しという訳の分からんダメージを受けている。
「光る君へ」をみていても、そりゃ1000年前の平安時代というのは民衆の生活はこんな感じで泥臭い感じの生活してただろうなーと思うのである。どうも自分のイメージでは平安時代というのは貴族たちの華やかな生活ばかりのイメージが強くて、雅楽とか和歌とかそういうイメージが先行しちゃう。
映像メディアでもその時代を描いた作品を見るのは、小説の情報収集をやるためにもやったほうがいいのだなーと思う。作品としても面白いので「光る君へ」は最後まで見たい。
今週のネットニュース振り返り
僕もChatGPTのGPTsを使って何か作りたいよね。
【ChatGPT】面倒なことはアウラにやらせよう - 本しゃぶり
ノーコードでChatGPTをもっと強力に! 楽々簡単な「GPTs」を作成して情報通になれた話 - やじうまの杜 - 窓の杜
有料版ChatGPTに去年の11月に「GPTs」という新機能が追加されたのだけど、こちらを使うとノーコードでChatGPTに色々なことをやらせることができる。
本しゃぶりさんのところでも窓の杜でもやってるけど、特定のサイトを学習させてその知識をChatGPTと対話できるようなシステムについては簡単に作れるようなのである。これを聞いて、「僕も自分のブログで学習させたGPTsがあれば面白くね?」と思ったりなどしたのである。
しかし、僕のブログは中途半端にセンシティブな表現も使ったりしているし、OpenAIの利用規約に引っかかる可能性もあるかな? などとも思った。やー、まぁ、病気が酷かった頃のブログについては自分でも読み返すのも辛かったりする。
とりあえず自分用に作ってみて、色々とブログネタを考えるための壁打ち相手として使えないかなー。自分でもブログの内容を完璧に把握しきってるとは言い難いので、この話題についてはどこで書いたか尋ねる司書のような使い方も良いかもしれない。
近年ではAIを仕事で使いこなせることがビジネスでも生き残る条件のように言われることも多い。最初の段階ではプロンプトを工夫するだけだったけど、GPTsのような自分用のChatGPTが作れるようになったりとか、Pythonを読み込ませて作業を自動化するようなことまでできると聞いた。
ちょっとネットで見かけた本であるけど、こちらの書籍は気になるので買ってみようかなと思う。ChatGPTについてはある程度課金しても見返りは大きい。
「面倒なことはChatGPTにやらせよう」を講談社から出版します。|カレーちゃん
個人ブログはどこへ行くのか。
ブログオワコンというのは言われ続けて久しい言葉であるけど、実際まぁ、はてなブログで毎日ブログを書き続けてる僕的にも人が減ってるのは実感としてわかる。
しかしまぁ、ブログオワコンの意味は、ブログで稼ぐ云々言ってる人たちはすでに無理筋というだけでブログを書き続けてる人たちはちゃんといる。時々、中学生とか小学生のブロガーも見かけたりするし、ブログという文化については盤石なものとして熟成したのであれば良いなーなどと個人的には思う。
どうも人間には多くの人に情報発信をしたい欲望というのがあるらしく、初期ブログブームの時期には、それで個人メディアとしてのブログというのを追求してたように思う。
初期の頃のアルファブロガーと呼ばれる人たちには、自分の情報発信で世の中を良くするのだという大きな志を持ってる人が多かったように思う。それでトラックバックで繋がったブログスフィアというコミュニティで、それぞれの議論を戦わせたりしていた。Web2.0と呼ばれる時代の雰囲気はそんな感じだったと思う。
しかし、ブログというのが広告料などで稼ぐことができるとなると、一気にゴールドラッシュに群がる開拓者のようにブログに人が集まった。その中ではブログでいかにして稼ぐのかというのが主な話題であり、彼らの中で一番稼げる方法は儲かる方法を売りつけるつるはしとジーンズを売る商人ばかりであった。
その中で、アクセス源として一番大きな存在であるGoogleのアルゴリズムをハックする「SEO」というテクノロジーを知ってるともっと稼げるぞと、開拓者たちはGoogleの評価を誤魔化していかに低品質の記事を検索上位に表示させるかの方法を研究しまくった。Googleはそれらの低品質記事を弾くために様々なアルゴリズム変更を行なってきたけど、結局、稼ぎたい人たちの数には敵わず、検索結果がスパムで覆われ尽くすという結果になった。
このアクセス数が集まるところに稼ぎたい人たちが群がるというのはGoogleだけに限らず、初期の頃のトラックバックもアクセス数を稼ぎたい人たちがスパムを送りまくったので使い物にならなくなった。稼げる方法というのは必然的にSPAMerが占拠して、元からいた人たちの利便性を無視して自分たちの利益のために悪用していくのである。
で、結局Googleについては去年の10月ごろのコアアップデートで権威性を重視するようになり、個人ブログ勢というのは検索結果から追い出された。それ以前から企業サイトを優先するようなアルゴリズムであったが、このアップデートで個人ブログというのはほぼ検索に載らなくなったのである。
それでなんなのかという結論については考えてないのだが、金を稼ぎたいという人たちはイナゴのように豊かな大地に飛来して、そこにあった緑を食い尽くしてまた他の金になる土地を目指して飛んでいく。一番ワリを食うのは元からいたその趣味が好きな人たちである。
まぁ、でも今の個人ブログ勢の現状というのを観測していると、本当に書きたい人しかブログは書き続けないようであるし、これでよかったのかなと思う。僕的にはブログオワコンの後の方が熱量のあるブログが増えてるように思う。ブログについてはこんな感じで、書きたい人だけが書く文化圏になれば良いな。
今週の一曲
今週の一曲はジャスティン・ティンバーレイクの「Selfish」
ジャスティンはNSYNCのメンバーだけど、ソロで出してる楽曲もたくさんある。こちらのSelfishもそのうちの一曲。
程よく軽くておしゃれで質感が気持ちいい。彼は一人だけどNSYNCの続きをやろうとしてるのかなとも思う。
それでは良い週末を。
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